災害に苦しむ国民に勇気を与える天皇皇后両陛下                            戻る

日本の国土は地震や台風が多く、時として国民が大きな被害を受けることも少なくありません。大きな災害で被害が出る度に、天皇皇后両陛下は災害に苦しむ住民達の避難所を御訪問され、慰め励まし、そのことが被災者の人々に大きな勇気を与えています。阪神淡路大震災や新潟中越地震による大きな被害は未だ記憶に新しいですが、この時も余震の危険性が大きいにも関わらず、天皇皇后両陛下は積極的に現地の避難所を御訪問されています。

阪神大震災の2週間後に現地に入られる天皇皇后両陛下この時は未だに余震が続いており、危険を伴う状況でした。
阪神大震災の避難所で生活する人々を一人一人慰問される天皇陛下。

被災者の女性を優しく慰められる美智子皇后陛下。 バスの中から被災者を励ます両陛下。皇后陛下は手話で「頑張って下さい」と語りかけられた。

阪神淡路大震災の時に避難所を天皇皇后両陛下が御訪問した際のインターネット上の書込みを集めてみたので、参考にして下さい。

以下はインターネット掲示板の書込みより

○388 名前: 底名無しさんダーバード 投稿日: 03/01/20 22:59 ID:UGx1q9eh
 
私が西宮の避難所にいるとき、天皇陛下と皇后陛下が訪問してくださいました。お付きの方もいらっしゃいましたが、天皇・皇后両陛下は御自分で動き回られ、 避難所にひかれた毛布の上に膝をつかれて、避難所にいるほとんど全ての被災者を慰め、励まされておられました。その姿を見て、思わず背筋が伸びたものです。また、両陛下のお姿を拝見していますと、言葉では言い表しがたい勇気のような ものが湧いてきたのも覚えています。

○227 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 01/10/09 20:47 ID:CyHxVW0s

阪神大震災とき村山首相が行っても避難所被災者はソッポを向いていたが、両陛下の行幸啓には皆感激し、涙を流す人もいた。 皇室は常に国民とともにあるのだ。理屈ではない。

○811 :名無しさん@6周年:2006/04/11(火) 09:27:00 ID:H8Z1b5en0

皇族の地方公務には意味があるよ。私は阪神大震災経験者。避難所でじっと座っていたら、明日天皇皇后両陛下がいらっしゃるという話を聞いた。マスコミの無神経取材攻勢につかれきっていたし、こんな時になんだよ…と半ば腹立たしく思っていた。両陛下がいらして、私は自分のスペースで座ってた。そうしたら、うつむいた視界に、細い膝頭が目に入った。顔を上げたら、ものすごく優しそうな、でも悲しそうな笑みを浮かべた皇后陛下がいらした。『ご家族はご無事でしたか?』と言われ、『妹が…』と答えたら、言葉が続かなかった。妹は、目の前でゆっくり崩れていく建物の下敷きになった。すると、皇后陛下が柔らかく私の手を包んでくれて、『どうか、しっかり生きて。がんばってね。しっかり生きてね』と仰った。お声が震えていらして、まともにお顔をみることは出来なかったけれど、涙ぐんでおられたようだった。あの手の温かさ、優しい気品のある声は、 すさみきった心になんともいえない力をくれたと思う。今でも忘れない。

以下は某ブログのコメント欄より

○自分は震災当時神戸市民でした。幸い避難所生活はまぬがれましたが、避難所が設立されなかった地域が故に食料などが入手困難になり、かと言って眉毛首相はのん気な発言の繰り返し、完全に孤立した状態で絶望的な気分になっていました。避難された住民なら絶望感はもっと大きかったでしょう。そんな中、天皇・皇后様の避難所訪問のニュースで涙が止まりませんでした。自分達は見捨てられていない、希望を持って前向きに復興へ向かっていこう、とどれだけ勇気付けられたか。Posted by はる at July 24, 2006 12:09

○被災地の体育館で両陛下を見た者です。お年寄りの方なんて泣いていらっしゃいましたよ。私も大変感激しました。三宮のほうでは右翼の活動家の人も炊き出ししていました。自衛隊の方々の活動も大変丁寧でした。(全壊した家を片付けていただきました)それに引き換え社会党首相のあの態度。マスゴミのあの態度。ニュース報道。神戸市民として忘れはしません。危機的な状況でこそ本当の人間の姿が見えると教わった震災でした。Posted by マジレスでスマソ at July 24, 2006 21:33

○阪神大震災と皇后陛下、といえば思い出すのが今はなき"FOCUS "に載った一枚の写真。皇后陛下にお声をかけられ、被災以来張りつめていた気持ちがプツンと切れたのか号泣しながら胸にすがりついてしまった若い女性と優しく抱き寄せられる皇后陛下。思い出すだけでなんだか涙が出てしまう。Posted by ばびろん at July 24, 2006 21:14

○震災・・・いろいろありした 激安で弁当を売っていた弁当屋に長蛇の列ができて列を乱しながら取材、その後行列を尻目にすぐそばでにこやかに自前の弁当を食べていたT〇S。別の肉屋で、これまた激安でブタマン5こ百円というのを聞きつけ行列を無視の上取材をし流れを止め、キレた人(最初は自分です)に次々に文句を浴び逃げてったTV局(どこかは不明)。こんなクズどもに比べりゃ陛下の行為は全然心がこもってます。Posted by 通りすがりの神戸市民 at July 24, 2006 21:43
以下の記事はhttp://www.nipponkaigi-tokyo.com/tennouheika01.html よりの引用です。

皆さんも記憶に新しい阪神大震災が起こったのは、平成七年一月十七日早朝のことでした。亡くなった人々は六、三〇八人、怪我をした人は四万一五〇〇人にものぼりました。一瞬にして家が崩れ、炎がものすごい勢いで街を包みます。崩れた家の下敷きになった家族がまだ生きているのに助け出すこともできません。危うく逃げ出せた人も、凍てつく寒さの中に放り出されたのです。生き地獄だ、と人々は思いました。深い悲しみの中で人々は地域の小学校などで避難生活を始めました。

しかし、お腹がすいているのに食べ物は届かず、病院には怪我をした人があふれ返っています。電車やバスなどの交通は断たれ、電話も通じません。被災地の人々を助被災者を温かく励まされる天皇・皇后両陛下(神戸市)けにいくことも思う通りになりませんでした。それでも、自衛隊や民間で援助にあたる人々のお陰で、一人、また一人と救い出されていきました。その様子をテレビで見た人々は「ああよかった。」とほっとしました。それでも、家や家族を失った人々の悲しみは深く残ります。そのような中でのことでした。天皇陛下は皇后陛下とともに、被災地を訪問されました。そして、悲しみで沈みきった人々に、膝をついて言葉をかけられ、手を握って励まし続けられたのです。人々からは口々に「天皇さま、皇后さま、ありがとうございます。」と感謝の声があがりました。

「子供たちも悲しい思いをしている時に、両陛下から『希望を持って生きてください』と言われうれしかった。これからの生活に励みが出てきました。」(三十代の女性教諭)

「皇后さまが手を握ってくださって、あたたかいお手やった。」(神戸市長田区の被災者)

人々は両陛下が自分たちの悲しみをご存知でいらっしゃる≠ニ思うと胸が熱くなりました。
また、北海道南西沖地震が奥尻島を襲ったのは、平成五年七月十二日のことでした。死者・行方不明者あわせて一九八人。特にひどかったのは、地震の後の津波による被害で、沿岸の家や人は一瞬にして飲み込まれ、暗い夜の海にさらわれてしまいました。陛下はすぐに奥尻島の各所をまわって被災者をご慰問になり、心から励まされました。
それから五年後の平成十年三月、奥尻島では仮設住宅で暮らしていた島民すべてが、家にもどることができ、また堤防を整えるなど災害に強い町づくりを実現し、復興をなし遂げました。そして、亡くなった方々の慰霊碑も建てられました。
復興の様子をお聞きになった陛下は次の御製(天皇陛下の和歌を「御製」と言います)を詠まれました。

    「五年の昔の禍を思ふとき復興の様しみてうれしき」

五年の間島民の受けたわざわい(禍)を思い、復興を祈り続けてこられたお気持ちが「しみてうれしき」(しみじみとうれしい)という言葉となってあらわれたお歌です。このように、天皇・皇后両陛下は、喜びも悲しみも常に国民とともにされています。そのお心は、被災した人々にとって明日への希望と生きる力になっているのです。(一部略)

以下は新潟中越地震での両陛下の避難所ご訪問の記事です。

両陛下、ひざつき被災者の輪に

避難所
避難所を訪れ、被災した人らを励ます天皇
皇后両陛下=6日午後、新潟小千谷市の
市総合体育館で

【記事本文】

 「つらかったでしょう。お体どうですか」。新潟県中越地震の被災地に入った天皇、皇后両陛下は6日午後、約2300人が身を寄せる被災地最大の避難所、小千谷市の市総合体育館を訪問。割れたガラスなど激しい地震のつめ跡が残る中、予定時間を超え、避難生活を続ける被災者をねぎらった。

 体育館内で両陛下は被災者の輪にひざをつき「余震が早くなくなるといいね」「無事でよかった」と一人ひとりを励ました。滞在中に余震が2度あり、周囲がざわついたが、両陛下は驚いた様子もなく声を掛け続け、皇后さまが赤ちゃんのほおを手でさする場面も。ボランティアの若者たちには「よろしくね」と声を掛けた。

 体育館玄関口で両陛下は、毛布にくるまり車いすで並んでいたお年寄りたちに歩み寄って「大丈夫ですか」と手を握った。地震で家が壊れ、市内の中学校のグラウンドでテント生活を強いられている杵渕良枝さん(70)は「ボランティアの人に連れてきてもらった。(陛下は)温かい手だった」と涙ぐんだ。

 両陛下は6日夜、自衛隊機で帰京した。
ニュース引用元 中日新聞 http://www.chunichi.co.jp/hold2004/ch-jisin/041107T1148001.html


[PR]動画