礼宮さま・紀子さんがご婚約会見 プロポーズは3年前 和やかな家庭に

 12日の皇室会議でご結婚が決まった礼宮さま(23)は、川嶋紀子さん(23)(学習院大学院生)とともに、同日午後3時から、赤坂御所「桧の間」で記者会見に臨まれた。この中で礼宮さまは、3年前にすでに紀子さんにプロポーズをしており、川嶋家への取材など問い合わせが激しくなってきたため、昭和天皇の喪中で、ご自身が留学中のこの時期にもかかわらず、あえて公表に踏み切る決心をしたことを明らかにされた。お2人とも当面、英国留学や大学院生活を続けるが、紀子さんは「和やかな家庭を築きたい」と述べ、礼宮さまは「皇族としての仕事を大切に果たしていくつもり」と結婚後の抱負を語られた。

 礼宮さまによると、プロポーズは、61年6月26日夜、場所は学習院大に近い東京・目白の横断歩道で信号待ちをしているとき。「私と一緒になってくれませんか」と申し込まれた。その後、交際を重ねながら、お2人とも結婚の意思をさらに固めたという。

 お互いの魅力について、礼宮さまは紀子さんのことを「どことなく愛きょうのある、話をしていて楽しい人」と表現され、紀子さんは、気さくで、熱心に魚類を研究したり、ギターを弾かれたりする宮さまにひかれたと説明した。そして、「のんびり、和やかな家庭を築きたい」と語り、礼宮さまも「与えられた皇族としての仕事を一つ一つ果たしていきたい」と話された。

 この時期にあえてご婚約に踏み切ったのは、川嶋家への問い合わせが多くなり、「私としても責任があることなので」早い時期に公にした方が好ましいと判断したためで、これには両陛下をはじめ反対は一切なかったという。ただ「結婚の儀」などの時期は、来年1月の喪明けを待って考えたい、と述べられた。

 一方、紀子さんは、今回のことについて父の学習院大教授、辰彦さん(49)から「自分の人生は自分の責任と判断で、よく考えよく悩んで決めるように」とアドバイスされたことを明かし、今後も「礼宮さまのご理解のもとに、時間の許す限り勉強を続けたい」とも語った。

 この日の会見では、皇太子さまより先にご結婚が決まったことについての質問も出た。礼宮さまは「兄の皇太子が先に決まることを望んでいましたが……」と言い「(皇太子さまが)30歳までにできれば上出来」と付け加えられた。

 会見に先立ち、礼宮さまと紀子さんは午後2時過ぎ、皇居・吹上御所を訪れ、皇太后さまへのごあいさつを側近に託された。会見後も、常陸、高松、秩父などの宮邸を次々に訪問、ごあいさつをされた。

 赤坂御所では午後7時前から天皇ご一家が川嶋さん一家を内輪の夕食会に招き、10時半すぎまで歓談された。

 天皇陛下や常陸宮さまのご婚約の時は、記者会見は美智子さま、華子さまとそれぞれ両親だけだった。今回は三笠宮寛仁親王や高円宮さまのケースと同様、お2人そろっての形となった。

 この会見について、宮内記者会(15社)は前例通り宮内庁で行うよう申し入れたが、「控え目にしたいという礼宮さまのご意向」(宮内庁の話)に沿い、赤坂御所で行われた。会見には外国通信2社も加わった。

(1989年9月13日  読売新聞)

引用元 http://www.yomiuri.co.jp/feature/impr/0609article/fe_im_89091302.htm



[PR]動画